心のスイッチオン



・心のスイッチオン
・健康と元気
・致良知
・健康寿命を延ばそう
・人間万事塞翁が馬




心のスイッチオン

ストレスが与える大きな影響を、
プラス方向に作用させるか、マイナス方向に作用させるのかは
すべてあなたの想いと行動に左右されます。

今まであなたがあなたの心と身体に強いてきた無理難題から
心と身体を解放して、
自分自身をいたわらなくてはなりません。

心と身体をいたわり快適に保つ優れた方法は、
今あるなかで感謝できる対象を見いだしその喜びを表現することです。

ひとつの具体策としては、
一日一回の「大笑い」と、
にっこり笑って一日三十回の「ありがとう」があります。
そうすれば不平や不満などの「グチ」を言うひまがなくなりますし、
結局は最短コースを楽しく歩むことになります。

「大笑い」をすると、その瞬間からリンパ球たちはパァッと活性化します。
「ありがとう」は最高のポジティブ発言です。

「グチ」は周囲を暗くしますが、
「笑顔やありがとう」は周りを明るく豊かにします。

「グチ」も「大笑い」もどちらも周囲に伝染して、
そしてその力は数倍の大きさになって
再び自分自身に大きくはね返って戻ってきます。

「喜べば、喜びごとが喜んで、喜びを集めて喜びに来る」
といわれます。
「悲しめば、悲しみごとが悲しんで、悲しみを集めて悲しみに来る」
ともいえます。

「心の持ち方一つ」によって、
まるで「ON」「OFF」のスイッチを切り替えるように
パッと良くもなり悪くもなります。


精神神経系と内分泌系、そして免疫系は
密接に関連しあっているからです。

最初は作り笑顔でもいいのです。
そしてウソでもいいから「ありがとう」。
言葉や行動が変わると、
私たちの人生の色彩まで変わりゆきます。
でも「一日三十回のありがとう」は忙しいですよ。

○ 看護婦さんの笑顔にありがとう。

○ 注射が下手で痛くてもありがとう。

○ さわやかな朝日にありがとう。

○ そよかぜにもありがとう。きもちいいな。

○ 雨が降っても、自然の恵みに感謝。

○ 三度の食事にありがとう。

○ おかずが気にいらなくても、いただけることにありがとう。

○ お布団や枕にもありがとう。

○ お通じが出ても手を合わせてありがとう。

○ ついでにオナラにも、出てくれてありがとう。

○ やさしくしてくれた人に満面の笑顔でありがとう。うれしいな。

○ 嫌いな人にも、作り笑顔でありがとう。

○ きれいに咲いた花にありがとう。きれいだなあ。

○ 山の緑にありがとう。

○ 秋の紅葉にありがとう。

○ 人生を共に歩んでくれてありがとう。ほんとうにありがとう。

○ 私の子供に生まれてくれてありがとう。

○ 話を聞いてくれてありがとう。

○ いい話、楽しい話を、聞かせてくれてありがとう。

まだまだありがとうはたくさんありますが、
これらの実践から感謝や喜びは生まれます。

ありがとう、嬉しい、幸せ、大好き、は
言うほうも言われるほうもなんだか幸せな気分になりますね。


心のスイッチが「OFF」になっていると、
次のように思う人もいらっしゃるでしょう。

「こんなにつらいのに、
今の状態で笑顔やらありがとうなんてどころじゃない。」
「病気が治ったら、
そのときには豊かな気持ちにもなれるし、感謝もできる。」

これでは治るものも治りませんし、
治りかけても心が身体を引っ張り下げてしまいます。

心と身体の関係は、川にたとえると心が上流で身体は下流です。
下流の身体が良くなりきれいになろうとも、
上流の心が汚れていると下流はきれいになるヒマがありません。

操り人形にたとえると、身体が人形なら心は人形を動かす糸です。

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」といわれます。
「身体が健全ならば、精神も健全である」ということですが、
私たちに必要なのは
「身体が健全でないときにこそ健全な精神を持つこと」なのです。

身体が病気になっても心まで病気になる必要は少しもありません。
身体が病気になるのが不幸なのではなく、
心まで病気になることが不幸なのです。

「病気が治ったら感謝もする」というのは
「病気が治ってから治療する」のと同じで、
いつまでたっても治りません。

論より証拠です。
ウソでも良いので『ごきげんさんに』過ごしましょう。
ほんの数日のあなたの変化によって
変わる、さわやかな環境を楽しんでみてください。

目の前のきれいな花も、
きれいと思う心があって初めてその価値は輝きます。


健康と元気

という字は「人」と「建てる」をくっつけたものです。

人が何をたてるかといいますと
規律をしっかりたてる(規則正しい生活をする)ということです。

規則正しい生活をしていると
私達が生まれながらにもっている生体リズム
(1日リズムがサーカディアンリズム、1年リズムがサーカニアルリズム、
1生リズムまである)がうまく働いて
人間は黙っていても『健』になる様に生まれた時からできている。

という字は「ゆったりとした」とも言いますが
本来は「籾殻(モミガラ)と種子」と言うことです。
人の心の状態で『他者を受容する』という意味です。

(例)健康でない奥さんの場合、
早く帰ってきた御主人に
『ゴハンもできないうちに帰ってきて!もう!!』。
言われたので翌日遅く帰ってくると
『今頃帰ってきてナンデスカ!』となる。

健康な奥さんの場合、
早く帰ると『良かったね!』遅くなると
『お父さんずいぶん遅くまで頑張るね!お疲れ様』
こう言われると人は何かゆったりとしてきますね。

もっとすばらしいことには人間は本当の意味で健康でいると
規則正しい生活をして、
四季に合わせた生活をして
心の状態がすこやかで、

他者を受容して他者の言うことを
『なるほどねあんたそう思うの』
良いことがあると『良かったね』
うまくいかないと『たいへんね』
と心から言っていると
黙っていても種子が実る。
たとえ東京大学に入れなくても、スポーツがうまくなくても
年齢を重ねるにつれりっぱに人格が完成される様に
生まれた時から出来ているということです。

私達は100点満点になれる「一生リズム」を
もって生まれているのです。
元気というものには3つあります。

1、 もって生まれた元気
親からもらった元気、先天の元気。(後天の元気は脾胃が司る。)

これは父親と母親の命からもらい、父と母もその父と母からもらい
また、その父や母のその父と母もその父と母からもらい、・・・・・

先祖から親、親から子へと流れている気(エネルギー)で
いまも自分の体内を流れている最中です。だから
『私の命だから煮て食おうと焼いて食おうと自分の勝手だ』
と言ったときから”バチ“があたる。

体の根本元気は親孝行することによりエネルギーが増幅される。

2、 呼吸によってとり入れる元気
肺呼吸だけでなく皮フ呼吸が大切。

酸素をとり入れて二酸化炭素を出すだけでなく
自然界の”気“をとり入れたり
明るい人、楽しい人、徳の高い人から取り入れる”気“が大切です。

3、 飲食によってとり入れる元気
動物や植物の生命力をいただくことによってとり入れる“気”。

しかし現代は過食の人が多いです。
とりすぎは毒となります。
食べすぎ、のみすぎ、食品添加物、保存料、着色料、
農薬、白砂糖、など(ストレスもですが)、
これらによりどうしても血液が粘り、よどみ、汚れます。

血液の流れが悪いと“気”の巡りも悪くなります。
特に現代は血液を浄化しておくことが必要です。

みなさんも、本当の意味で、健康でそして元気であって下さい。


致良知

私たちが例外なく体験する「生老病死」のときを生きる指針として
古今東西、さまざまな哲学や思想、宗教がありますが、
その中でも、すぐれたものの底には共通する思想が流れています。

ここでは、人間活学といわれる「陽明学」を紹介したいと思います。

陽明学を知る人は、
大塩平八郎、三島由紀夫、吉田松陰、西郷隆盛、安岡正篤
などの人々を思い浮かべるでしょう。

私は、徳川幕府から明治維新への時代の基礎を担った
坂本竜馬を始めとする幕末の志士たちにも、
「陽明学」は色濃く受け継がれたのではないかと思っています。

陽明学は実践重視の思想として知られていますが
その底を流れるのは、
人間の持てる可能性を最大限に引き出そうとする人間信頼の哲学です。

陽明学は500年ほど前の王陽明という人の哲学ですが、
その後の流れを見ると、中国でよりも日本で受け入れられてきました。

陽明学の核心とされるのが「知行合一」説と「致良知」です。

知行合一
朱子学の「先知後行」説以来、
いつしか実践よりも知識が重んじられるようになった頃、
王陽明が「知行合一」説を唱えました。

「知ることは行うことの始めだけど
行うことは知ることの完成である。
知と行を分けて考えてはいけない、同居する。」

たとえ立派な知識があっても、
使わないと何の意味もないし、
経験しないと本当のところはわからない。ということです。

そして知と行も原因と結果も、また苦と楽や生と死も
分けて考えてはいけない、同居する。
ということも知行合一説の根幹です。

致良知
致良知とは、良知に到達する、または良知を発現するという意味です。
良知とは、すべての人が生まれながらにして授かっている
スーパーマインドでありスーパーパワーのことです。

もっと以前の中国の古典「孟子」では
考えなくても善を理解し
学ばなくても善を行う力を「良知」としています。

王陽明曰く
「心にある良知こそ最高のものであります。
この良知を無理なく発現できるのが聖人。
努力してできるのが賢人。
私利私欲にさまたげられて良知を発現できないのは愚人。」

良知を得るためには、新しい知識を得るのではなく、
変な常識や間違った知識、そして私利私欲、
低俗な意見や陰険な術数を捨てる。

捨てるだけで私たちは
スーパーマインド、スーパーパワーを
発現できるのです。

月にかげる雲をとっ払えば、月の光は暗闇を照らし、
鏡の上のほこりをとり去れば、鏡はすべてを写し出す。

鏡の上にごっそり積もったほこりは、
一度きれいにピッカピカにしておきさえすれば
毎日ふりかかるほこりも、チョイと掃くだけでキレイになりますよね。

水面の汚れや、波さえなければ、
水は澄みきって底まできれいに見えますが、
水面が汚れていたり波だっていれば、10センチ下も見えない。

「ゆれない心、とらわれない心」の大切さを教える仏教と
共通していると思いませんか。

そして良知を発現すれば
自然に自分以外の他者の喜びや苦しみも、
自分の喜びや苦しみとして感じる。

良知は天地万物と一体だからです。

反対に、自分のことばかり考えていると
せっかくの良知を発現できなくなくなってしまう。
これは先に述べた「知行合一」説と重なります。
自分と他者と分けて考えてはいけない、同居する。
自分と自分の環境である他者も自分自身と一体だからです。

時代を超えて陽明学は、
私たち人間のもつすばらしさ、無限の可能性を
教えてくれているような気がします。


ストレスをスパイスに

同じストレスでも、
私たちの心の持ち方や物事のとらえ方によっては
毒にも薬にもなり、成長のためのスパイスにもなります。

同じような出来事に直面しても、
「いやだな」と思い悩むとストレスは毒になり、
「いいな」とよろこぶと薬となり、
「ヨシ!何とかクリアしよう」と決意すると
内分泌系も免疫系もイキイキと活性化し、
私たちの健康維持だけではなく成長の糧にまでなります。

「しあわせは、いつも自分のこころがきめる」
という名言もありますが
「美しさは花にあらず、見る人の心にあり」
こんな言葉も思い出されます。

自分のエゴから生じた想いや行動は
周囲だけでなく、結局は自分自身も傷つけることになります。

そして理想と現実との差があればあるほど
精神的ストレスは強くなります。
このストレスは「理想と現実の差を小さくすれば解消される」
とシンプルにとらえて、
次のように単純に考えるのも良いでしょう。

一つ目は理想を少し下げてしまう。
もしかすると一段下げたところが自分の性分に合っていて
幸せな人生を歩めるのかもしれません。
価値観を少し変えて、物事の見方、とらえ方を
修正する良い機会になります。

二つ目は、努力と工夫を続け、
今の現実を高めて理想に近づいていくという方向です。
一歩でも前へ進む過程の中で、逆風と苦労を楽しみます。

うまくいかないことを
努力と工夫で達成できたときの喜びを「機能快」といって、
人間のあらゆる快感の中でも最高のものとされます。

しかし結果よりも
この過程にある逆風や苦難を乗り越えることが
私たちの成長の糧や財産になり、人生の醍醐味にもなります。

私たちは、
成功したときの喜びや流した涙の量は忘れても、
涙の熱さは忘れません。


悲しみを乗り越えた人ほど人にやさしくなりますし、
つらい経験を克服した人ほど温かい人になれます。
そして自分を見つめて、他者を認めて、謙虚になれます。


健康寿命を延ばそう

戦後日本の平均寿命は目をみはるほど延びていますが、
その寿命は「生まれてから死ぬまでの期間」の長さだけであって、
その「質」については案外問われていません。

平均寿命には「寝たきり」の期間も含まれています。
厚生労働省の統計を見ますと、亡くなる前の寝込む期間は平均8.5ヶ月です。

平均が8.5ヶ月ということは、もしも半数の人が1ヶ月とすれば、
残りの半数の人は16ヶ月も寝込んでいたということになります。
苦しんで過ごす日数を加えるともっと長いことでしょう。

もちろん「何年生きたか」は大切なのですが「どのように生きたか」
つまり生活の質(QOL)はもっと大切です。

1日中病院のベッドで、苦しみながらチューブやカテーテルにつながれて、
10年間寝たきりの生活を送った末に85歳まで生きるよりも、
自然にすとんと亡くなる日まで、大切な家族とともに
穏やかにごきげんさんに生きる80年の人生を望む人の方が多いはずです。

ましてや、どちらも85歳まで生きるとすれば全員が後者の人生を望むでしょう。

寿命をただ単に「長さ」という線だけでとらえるのではなく、
楽しく元気に生きる生活の質(QOL)を「横はば」とし、
この「長さ」掛ける「横はば」の面積を私たちは「健康寿命」と呼びます。

「健康寿命を延ばそう」、これが私たちの合言葉です。
さらには世の中や人のために役立つ豊かさを「高さ」として掛け、
体積で評価すれば、より豊かですてきな人生の尺度となりましょう。

例えば癌の治療法の選択に迷うときも、
健康寿命を延ばすことに視点を置いてはいかがでしょうか。

三大療法は生活の質(QOL)を低下させますが、
一方の免疫療法ではQOLが充実しますし、食欲も出て元気になります。

日常生活はもちろん、やりたい仕事や趣味も楽しくできるようになります。
花見やピクニック、ゴルフも可能でしょう。

QOLを考えれば「健康寿命」は限りなく延ばすことができるのです。

念のために確認したいことは、病気を治すのは本人自身であり、
私たちはそのお手伝いをしている、ということです。

食事と運動は非常に重要です。これらの詳細は多くのすぐれた本に委ねますが、
ひとつだけ食事面でアドバイスさせていただきたいことがあります。

それは動物性タンパク、脂肪、牛乳などの乳製品、甘いものや冷たいもの、
白砂糖たっぷりの飲料品などはできるだけ摂らないようにするということです。

基本的には純和食で少食、ひと口入れたら30回以上噛むようにしたいものです。
玄米などの穀物、根菜類、小魚や海藻、そばなどが主の食事がおすすめです。
鍋物や雑炊もいいでしょう。

高齢や闘病により介助が必要になっている人の中で
「自分自身の存在のために周囲のものに迷惑をかけている」とか
「人の役に立てない自分には生きる意味がない」
などと言う方もいらっしゃいますが、それは少し傲慢かもしれないと私は思うのです。

謙虚になってわが身を振り返れば、人に迷惑をかけたことのない人はいませんし、
誰しもが、誰かのおけげで今の自分があるはずです。
すべての人が生かされ、生きる価値があります。

たとえ「寝たきり」であっても今ここに生きている、ともに過ごした人生に感謝する、
それだけですばらしい意味があり、価値があります。

介助してくれる人に対して、心から「ありがとう」や「嬉しい」といえば、
介助する人は「人の役に立っている」という大きな喜びを充足感とともに得ます。

その共感や共鳴の中で「感動」や「生きる意味」は生まれます。
そして「明るく周囲を和ませる」ことができますし、
今までつちかってきた知識や経験をこれからの人に伝えることもできます。

たとえ絶望の淵に立たされていても、決してくじけず強く朗らかに生き抜く姿を、
ご家族やお孫さんに身をもって伝えることができます。

このような無形の財産を与えられた子供たちは、
今後どのような逆境や苦難にあっても決して負けないで、
雄々しくイキイキと生きる強さを次世代へと引き継ぐでしょう。

どんなに高価な有形の財産もいずれはなくなりますが、
あなたの「生きざま」は、ご家族の胸に誇りと共に生き続け、
決して消えることはないと思うのです。


人間万事塞翁が馬

中国の北のほうに占いの上手な老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、
国境には城塞がありました。
ある時、その老人の馬が胡の国のほうに逃げていってしまいました。

胡の地方は良馬が多く高く売れるので、
近所の人々は老人を慰めに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなくいいました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ」

ある日、逃げ出した馬が胡のよい馬をたくさん連れて帰ってきました。
そこで、近所の人たちがお祝いを言いに行くと、
老人は首を振って言いました。

「このことが禍(わざわい)にならないとも限らないよ」

数日後、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
近所の人たちが慰めに行くと、老人は平然と言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ」

1年がたったころ胡の人たちが城塞に攻め入ってきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行き、
何とか国を守れましたが、その多くは戦いで死んでしまいました。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、
戦いに行かずに済み無事でした。

胡の話は中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれています。

「人間万事塞翁が馬」の「人間(じんかん)」とは
日本で言う人間のことではなく、世間(せけん)という意味です。
「塞翁」というのは、
城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。

まとめると、
「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、
福から禍へ、また禍から福へと人生に変化をもたらした。
まったく禍福というのは予測できないものである」
ということです。

<21世紀「塞翁が馬」の年>
格言というのは、その人の感性によって
意味合いが変わることもあると思いますが、

私は「塞翁が馬」という故事の教えは
『とらわれない心、ゆれない心を持つ。
目先の現象に一喜一憂しない。
何事もプラス思考で最後まで諦めない。
仕事で成功するにも、
楽しい家庭を築くのも
病気を克服するにも、
自らの「気力」を原動力にして
「工夫」し、楽しく「実践」すること。
その過程こそが人生の醍醐味であるのなら、
結果は単なる「目先の現象」となる』
と解釈します。

世情はおめでたいと申せる状況ではありませんが、
目先の現象にとらわれることなく、
「気力」を奮い立たせ「実践」を楽しみましょう。

明るい期待を抱いて迎えた21世紀はまだ始まったばかりです。


漢方誠芳園薬局新井吉秀

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